戦艦大和
こんにちは、菊政です。
4月7日は、私の好きな「戦艦大和」が
九州沖の日本海に沈んだ日です。
昭和20年ですので、68年も前のことです。
今日は、戦艦大和のお話しをしてみますね。
戦艦大和は、昭和16年太平洋戦争の始まりと
ほぼ同時に完成し、就役しました。
口径が46センチもある”巨砲”を搭載していて
船用では、世界最大の砲でした。
(口径とは砲の筒の内径のことで弾の直径もほぼ同じです。)
大砲の弾の届く距離は、他の条件が同じなら
口径に比例して長くなりますので
大きな口径の砲ほど、射程距離も長くなるわけです。
たとえば、こちらの砲の射程距離が40km
敵の砲の射程距離が35kmだとすると
その中間の距離、37kmや38km位を常に保ちながら
どかん、どかん、と撃ち合うのです。
敵の弾は、こちらまで届かず、
どぼん、どぼん、と海に落ちてしまいますが
こちらの弾は敵の戦艦に
がつんん。と命中するのです。
つまり、
まともに勝負さえ出来れば”必ず勝てる”わけで、
大きな砲”巨砲”を載むためには、
必然的に戦艦も大きくなりますので
「大」きな「艦」を造って「巨」大な「砲」を載めば、必ず勝てる。
という結論に至るわけです。
これを、「大艦巨砲主義」と呼んでいます。
今でも、必要以上と思われるほど凝ったものや
物量で圧倒するようなものや
そのような考え方のことを
大艦巨砲主義的だ。っていいますよね。
同じ年にイギリスも
最新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ号」を
完成させ、就役させました。
絶対に沈まない戦艦 「不沈戦艦」 と自ら称していて
時のイギリスの首相、チャーチルの
自慢でお気に入りの戦艦だったのです。
開戦3日目の12月10日にマレー沖
(南北に細長いマレー半島の南の端に
シンガポールがありますが、
地図で見ますとその右上の洋上です)
に姿を現した、プリンス・オブ・ウェールズ号に
日本の航空隊が果敢に襲い掛かり
(当時の日本軍パイロットの技量は世界最高水準だった)
わずか2時間ほどの戦闘で沈めてしまったのです。
プリンス・オブ・ウェールズ号は、
飛行機によって沈められた世界最初の正式戦艦。
という不名誉な記録を残してしまったのですが
同時に
戦艦は飛行機に勝つことはできず、
戦艦はすでに時代に合わなくなってきていて
これからは航空力の時代だ。
という歴史の流れが実戦で証明された瞬間であり、
大艦巨砲主義が大好きで、
大艦巨砲主義を深く信じていた日本が
自らの行動が自らの考えを否定してしまった。
という皮肉な結果でもあったわけです。
後に 「マレー沖海戦」 と名付けられたこの史実が予感させるように
その後の大和は悲しい運命を辿るのです。
大和は大艦でしたが、
46センチもある巨砲を9門も備えたにしては
コンパクトに出来ており、
それは、それは、美しいデザインと
戦後の日本の造船技術の礎にもなった
緻密なメカニズム。
そして
辿った悲しい運命が
私たちを魅了し、続けるのです。
長くなってしまいました。
もし最後まで読んで下さった方がいらっしゃいましたら
ほんとうにありがとうございます。
画像は、ハワイのパールハーバーにあります
ボウフィン潜水艦博物館に行きました時に写した
潜水艦の写真です。
おしまい。おしまい。